パンの缶詰誕生ストーリー

パンの缶詰誕生ストーリー

パンの缶詰の元祖だからこそ。
ここだけでしか聞けない、
パンの缶詰誕生ストーリー

Story1:パンの缶詰の生い立ち~

大震災発生! 私たちパン屋ができることとは

大震災発生! 私たちパン屋ができることとは

1995年に発生した阪神淡路大震災。私たちパン・アキモトは「パンを届けて支援しよう」と焼きたてのパンをトラックに積み被災地へ届けました。

ところが、届けたパンの3分の2は食べられる前に傷んでしまうという大変悔しい結果に終わってしまったのです。

このとき被災者の方々に「歯が悪いから乾パンは食べられない」「柔らかくておいしくて、長持ちするパンをつくってよ」と声をかけられ、そこからパンの缶詰を開発するための挑戦が始まりました。

Story2:パンの缶詰、ついに誕生~

試行錯誤の連続、素材を求めて…

試行錯誤の連続、素材を求めて…

当時の備蓄用のパンといえば乾パンが主流で、柔らかくて長期保存できるパンなど前代未聞。真空パックか? 冷凍保存か? 仮説を立て何度も試行を重ねますが、なかなか思うようにはいきません。

悩んだ社長の秋元はあるとき、近所の食品加工所で缶詰づくりを見かけ、缶に入れるアイデアをひらめいたのです!

しかし、着想を得てからの製品化も困難の連続でした。焼いたパンを缶に入れただけでは、カビが生えてしまいます。
「生地を缶に入れて焼けば、殺菌と焼成が同時にできる」と思いつきましたが、このままだとパンが缶にくっついてしまいます。

耐熱性がありパンに適度にくっつき、水に濡れても破れない。そんな包み紙を求め海外にも足を運び、ついに包み紙に適した紙を見つけたのです。

こうして1年の月日をかけ、ついにパンの缶詰が誕生しました。

Story3:パンの缶詰が広まるまで~

支援のため届けたことで注目を集める

支援のため届けたことで注目を集める

ようやく完成したパンの缶詰ですが、1995年の開発直後はほとんど知られていませんでした。

その存在を注目されるようになったきっかけは、
新潟県中越地震。支援のために届けたパンの缶詰を、
被災者がおいしそうに食べている姿がテレビで放映されたことで注目を浴び、パンの缶詰は様々な場所で、お役立てていただけるようになりました。

さらに安心・安全を追求したことが評価され、2009年にはスペースシャトル「ディスカバリー号」に積まれて宇宙食として活躍したこともあります。

Story4:「助けたい」を届けるパンの
缶詰へ~

パンの缶詰のいま、そしてこれから

パンの缶詰のいま、そしてこれから

パンの缶詰を備蓄食としてお役立てていただいている場合、有事が生じない限り活躍の場はありません。もちろん、もしものときは来ないほうがいいのですが、やはりパンであるからには食べてほしいという想いもあります。 

そんな折、2005年のスマトラ沖地震が起こったのです。

現地の知り合いから「中古のパンの缶詰を売ってほしい」と電話を受けて、「賞味期限が切れる前のパンの缶詰を回収し、海外へ送り支援する」というアイデアを思いつき、救缶鳥プロジェクトが始まりました。

パンの缶詰を買うことで備蓄もでき、同時に遠く離れた、困っている人たちを助けることもできる。1995年の阪神淡路大震災のときの「パンを届けて支援しよう」という想いを、パン・アキモトだけではなく、パンの缶詰を購入いただくたくさんの人にまで広げることができたのです。

いま、パンの缶詰は日本にとどまらず、世界中の途上国や被災地に届けられています。私たちパン・アキモトも、パンを通じた社会貢献を目標に、災害発生時には被災地へ駆けつけ、パンの缶詰をお届けする支援活動に取り組んでいます。