お客様に「安心をお届けできる企業」

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メッセージmessage

創業

昭和22年12月、日光国立公園・那須高原の麓 栃木県黒磯町に「秋元パン店」は産声を上げました。
創業者は私の父である秋元健二、戦前・戦中と大日本航空(JALの前身)の無線通信士として国際線でアジアの空を駆け巡っていました。 戦後の航空会社解体で故郷・栃木に戻り、「食糧難時代到来」そして「日本の西欧化」を予測し、今で言う「脱サラパン屋」を始めました。 金なし・技術なしのスタートでしたが、夢と情熱は人一倍で数年後には幾多の困難を乗り越え、町一番の「元気パン屋」に育て上げました。

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不変と変化

パンは「生き物」です。イースト菌の働きを利用して小麦・砂糖・塩などで作り上げたパン生地を膨らまし、約200℃のオーブンで香ばしくふっくらと焼き上げます。 元来パンは、メソポタミヤ地方で小麦を練っただけの生地を天火で焼き上げた硬い食べ物でしたが、ある時偶然に発酵菌が混入しふっくらとした食品が誕生したと云われています。 そして現在のパンは、物理・化学・栄養学の理論のもと美味しく進化しています。
弊社は、安全で美味しいパンをお客様に提供するという不変の原理原則を守りながら、一方で時代の変革に沿ったサービスの向上を目指して変化を続け、お客様に「安心をお届けできる企業」を目指しています。 また創業の精神を忘れず、それを次代に引き継いでいきます。
平成12年に社名を「パン・アキモト」に変えました。パン屋のパンと、英語のPAN(パン)を掛け合わせました。PANの意味はパンパシフィック(環太平洋)のように、より広い・グローバル的と云うことで、「世界に広げたいアキモトのパン」を夢見ています。

代表取締役社長秋元義彦

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パンの缶詰

きっかけは阪神淡路大震災の被災者の声でした。 「カンパンのように保存性があってしかも焼きたてのようなふっくら・しっとりのパンを作ってください!」  これが「パンの缶詰」の研究開発の始まりでした。 保存性も求めることと同時に美味しさを求めることは、パン屋にとっては二律背反することへの挑戦でした。 しかし弊社の野次馬根性とチャレンジ精神が約一年後にふっくら・しっとりの「初代・パンの缶詰」を完成させました。 その後改善改良を続け、現在の製品に成長してきました。 新しいモノ・珍しいモノとしてとしての認知は徐々に高まってきましたが、それはただの缶入りパンでしかありませんでした。 しかしその評価を激変させたのは、新潟中越地震の被災地でのことでした。 それまでの「あれば便利な商品」から「無くてはならない商品」として、急成長しました。 そして国内ばかりでなく、スマトラ島やレイテ島など海外の災害被災地でも、被災者達に少しでも笑顔が戻ればと、義援物資として送った「パンの缶詰」は、大変高い評価をいただいております。
またパンの缶詰の特徴の「保存性」「美味しさ」「携帯性」「珍しさ」などから、防災備蓄用食品だけではなく「アウトドアー用」「お土産」「記念品」「ノベルティー商品」「携帯食」「臨時食」など幅広い分野で利用されてきております。 現在は「病者用の携帯食」の研究を進めています。

沖縄工場

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ソフトとハード

「防災備蓄食としてのパンの缶詰」は、できれば食べて欲しくありません。 お客様にそのようなシーンに出会って欲しくないからです。
しかし「食品としてのパンの缶詰」は、是非食べて欲しいものです。 賞味期限が切れて捨てられてしまうのは、パン職人として残念です。 また「モッタイナイ」の心が痛みます。 
パンの缶詰の生みの親・発明者として、自治体や公共機関など大口で購入のお客様に提案があります。
防災食として3年賞味期限の製品をご購入頂くお客様には、食べものとしてではなく安心と云う「ソフト」を提供します。 そして弊社が2年後に下取りをして、海外の食糧難の国・地域へ、義捐物資の食料と云う「ハード」として無償で送りたいと願っていますので、この新しいプロジェクトに是非協賛して頂きたいと願います。 これは「モッタイナイ」の精神のもと、循環型社会に対応したパンの缶詰の有効利用のプロジェクトです。地域から全国へそして世界を巻き込んだ壮大なスケールで、このプロジェクトを近い将来必ずや実現させていきたいという熱い想いを抱いております。
今後も弊社は社会貢献のできる企業としてその一助を担いたいと願っています。

パンの缶詰


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